URBAN NEUTRAL代表 ミニマル・インテリアデザイナーのシンプルライフブログ


LESS IS MORE 庭屋一如 世界のミニマル建築を訪ねて 住吉の長屋

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LESS IS MORE 庭屋一如
世界のミニマル建築を訪ねて

 
  
一度はこの方の『原点』をご紹介せねば
と考えてはおりましたが・・・

正直この建築は、住むのには過酷です。
なので、今回は・・・

 
「うわー素敵だなー ♪」とか
「住んでみたいなー ♪」とか

思う人はほとんどいないはずです。
   
 
 
 
  
しかし、それでも世界を魅了し続けるのが
このお方・・・
  
  
安藤忠雄
 
  
先日『大山崎山荘美術館』で、
安藤さんの建築を出会ったこともあり、
彼の建築家としての原点でもある
この作品を紹介したいと思います。
 
 
 
   
   
安藤忠雄さんが、建築の世界で
その名を轟かすようになるきっかけの作品
それが今回紹介する『住吉の長屋』
  
長屋と言えば、一般的に関西地方に多く残る
幅が狭く、縦方向にものすごく長い建物のこと。
 
その昔、税金(固定資産税?)の目安が
建物の幅を基準に算出されていたため、
この形の住まいが続出したのだとか・・・
 
 
 
 
   
そんな長屋も彼の手にかかるとこんな感じになってしまいます。
 

Sumiyoshi b01newd

 


 
窓の無いコンクリート打ちっ放しの建物
その真ん中にぽっかりと開く開口が玄関。
玄関を入るといきなりリビングです。
 
日本では珍しい構造なので、
違和感を感じるかもしれませんね。
 
 
 
 
 
敷地は間口2間、奥行き7間の
わずか14坪の狭小スペース。
 
中庭を介して、4つのに分割された小さな空間が
やんわりとつながっている構造。
 
部屋から部屋に移動するためには、
必ず中庭を通らなければいけません。
 
  


住吉   
  
20081128 image0   
 
2005 07 31   

 
 
雨の日は?
  
傘をさして移動します♪
傘をささず雨を肌で感じるのもありです♪
 
『Singing in the rain.』
  
映画さながら、ずぶ濡れで歌うも
いとをかし
  
 
 
  
真冬にトイレに行く時は?
  
ダウンジャケットを羽織りましょう♪
真冬の雨にはスキーウェアで対応しましょう♪
 
 
 

  
お風呂上りに、寝室に行くには?
 
上に同じです♪
  
     
  
 
 
   
今の時代でも賛否両論ある建物ですが、
1976年という時代に
こんな大胆な発想が出来る建築家・・・ 
   
それが安藤忠雄さん・・・
  
  
 
 

今の時代なら、
断熱対策して内壁を作りましょう。 とか、
もっと明るく採光するために、
ホワイトで塗りましょう。 とか・・・
  
いくらでも対策が考えられるでしょう。
   
私も、もっとこうしたらいいのに とか
思ってしまうことはあります。
 
 
 
 
 
でも、それはただの後出しジャンケン。
  
  
 
何もないまっさらの状態から、
0を1にする仕事の素晴らしさを
素直に感じることも大事なのではないでしょうか。
 

 
 
  
この作品には批評や感想は不要なのかもしれません。
  
  
    
自然を感じる生活、
四季を感じる生活は私も憧れます。
 
この建物も別の意味で
四季を感じさせてくれます(笑)
 
 
   
  
以前私も神戸市郊外でコンクリート打ちっ放しの
住まいに住んだことがありますが、
真冬の屋内の気温はマイナス2度でした。
  
   
暖房を入れても
コンクリート自体が温まるのに時間がかかり
24時間暖房するしか対応策はありません・・・
 
その当時は結局、スキーウェアで過ごしていました(素)
  
 
 
  
 
最後にモノクロ写真で建物をご紹介したいと思います。
 
 


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Andotadao  

  
安藤忠雄
 
安藤忠雄建築研究所
〒531-0072 大阪府大阪市北区豊崎2丁目5−23
06-6375-1148
  

 

『安藤忠雄 略歴』
  
大阪府立城東工業高等学校卒業後に、
前衛的な美術を志向する具体美術協会に興味を持ち、
関わったこともあるが、
大学での専門的な建築教育は受けておらず、
関西の建築家・都市計画家の水谷頴介などの
建築設計事務所でのアルバイト経験と独学で
建築士試験に合格したという。
 

 

木工家具の製作で得た資金を手に、
24歳の時から4年間アメリカ、ヨーロッパ、
アフリカ、アジアへ放浪の旅に出る。
 
ヨーロッパからの帰路、
マルセイユで数週間待たされた後、
帰国の船に乗り、象牙海岸、ケープタウン、
マダガスカルに立ち寄り、
インド・ムンバイ(当時のボンベイ)で下船する。
 
安藤は”何かに導かれるように”汽車に乗り、
ベナレスに向かった。
 
ガンジス川で牛が泳ぎ、
死者が荼毘に付される傍らで
多くの人々が沐浴するさまや、
強烈な太陽の下、
異様な臭気に包まれた果てしなく続く大地、
生と死が渾然一体となり人間の生が
むき出しにされた混沌世界に強烈な印象を受け、
逃げ出したい気持ちを必死にこらえながら
ガンジス川の岸辺に座り込み、
「生きることはどういうことか」を自問し続けた。
 
「人生というものは所詮どちらに転んでも大した違いはない。
ならば闘って、自分の目指すこと、
信じることを貫き通せばいいのだ。
 
闘いであるからには、いつか必ず敗れるときが来る。
その時は、自然に淘汰されるに任せよう」

 

と考え、ゲリラとしての生き方を決心する。
1965年、24歳のときである。
※Wikipediaより抜粋
 
 
 
 
この件を見ただけでも
普通の人ではないことが窺い知れます。 

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