URBAN NEUTRAL代表 ミニマル・インテリアデザイナーのシンプルライフブログ


持たない暮らし シンプルライフのお片付けノート 私にとって最高の人生とは? 理想の人間関係を考えてみる 〜ソウルメイト〜

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最高の人生を考える上で

欠かすことが出来ないのが

人間関係ではないでしょうか。
 


人は一人では生きていけませんし、

社会で生きていく上では

必ず多くの人との接点があります。

 

この世に生を受けてすぐに両親や兄弟、

祖父や祖母など【家族】という

最小単位のコミュニティーで

最初の人間関係を体験します。

幼い頃から接するために多大な影響も受けています。




その後、学校に通うようになると

集団生活の中で友人との人間関係を味わい、

先生など親以外の目上の人との人間関係も始まります。

 

 

 


クラブ活動などでは、

目的を持つ組織の中で人間関係がスタートしますし、

思春期にもなれば恋人や異性との

コミュニケーションも始まります。

 


やがてアルバイトや仕事を持つタイミングが来れば、

お金を稼ぐ目的を持つ組織の中で、

上司、同僚、お客様といった

今までとは少し質の違う人間関係を味わいます。

 

 



そしてご縁を持つタイミングが来れば、

その先長い時間を共に歩む

大切なパートナーとの人間関係を育くむことにもなります。

恐らく人生で一番長い時間を過ごす

相手になるのではないでしょうか?

 


そして新しい家族となる子どもが生まれると、

子育てを通じて子供はもちろんのこと、

パートナーとの新たな流れでの人間関係が始まりますし、

義理の両親や親戚など新しい人間関係も広がります。

 


楽しい思い出はもちろんですが、

中には今思い出しても嫌な気分になる人間関係もありました。

 

私にとって最高の人生を考えるとどういう人間関係が理想なのか?






今ここで自分の人生をリセットし、

これから新しく人間関係を作っていけるとしたら、

どのような人達とどのような人間関係を送っていきたいのか?

 



この先の理想の人生を考える上では、

人間関係が充実しているという事もとても大切な事だと感じました。

 




世の中には様々な人との人間関係がありますが、

私にとって特に大切と思えるのは以下の4つの人間関係でした。




・実の家族との人間関係
・妻との人間関係
・子供との人間関係
・仕事上の人間関係


この4つの関係が充実していたら

自分の人生も素敵なものになるだろうなと思います。

 



どうしたらこの4つの人間関係が

より豊かなものになるのでしょうか?

何かコツがあるのでしょうか?


それともソウルメイトのような特別な御縁がないと

そのような人間関係を持つこはできないのでしょうか?

 



ソウルメイトをウィキペディアで調べてみると・・・

ソウルメイト (soulmate, soul mate) は、
魂 (soul) の仲間 (mate) という意味で、
互いに深い精神的な繋がりを感じる大切な人物のことである。

古くは恋人・夫婦など男女の仲を詩的に表現した言葉であった。
スポーツ、ビジネス、アートなど分野に限らず
大きな成功を掴む成功者達には必ずとも言って良い程、
家族、仲間などソウルメイトの存在が見られる。


なお、近年はしばしばスピリチュアリズムな分野で語られ、
「前世での知り合い」「(超自然的な)運命で結ばれた仲間」
「いくつもの転生の中で何度も身近な存在(家族・友人など)として
出会っているグループ」という意味も持つ。



とあります。

 

 


4つの人間関係。

接する人たちがそんなソウルメイトのように互いに

精神的に深い繋がりを持つことができたら・・・

どれだけ人生が満たされたものになるでしょうか。

今回は実の家族との理想の関係を考えてみることにしました。

 



自分の両親や兄弟は自分で選んで生まれて来た

という研究結果もありますが、

果たして本当にそうなのでしょうか?


一般的には両親を自分で選んだ記憶を持つ人なんてそうはいません。

むしろ、

「好きであなたのもとに生まれてきた訳じゃないんですけど・・・」

と思えることさえあります。



以前私にとっての理想の仕事とは?

というブログでも紹介しましたが、 

幼い頃親から受けた躾や、

親の考え方が多大に私の人生に深い影響を与えて来たことを見つけました。

 


そんな両親もそのまた両親から同じように育てられ、

その時代特有の価値観が付加された状態で

子供へとその影響を引き継いでいきます。


そこには子供の人生を邪魔してやろうなんて悪気は

1ミリも無いことは分かっています。

でもどうして子どもというのは

親に対して被害者意識を抱いてしまうのでしょうか?




私や私の妻も、親が良かれと思って

我々にしてきた躾や価値観の押し付けで、

自分らしく生きる事への強力なブロックを抱えてしまっていました。


ブロックがあるからこそ

実の家族に対し苦手意識も出来上がってしまっています。


どこにその原因があるのでしょうか?

どうしたらお互い自分らしさを活かしながら

付き合っていくことができるのでしょうか?

 

 


私は両親と兄二人、それに祖父と祖母の7人家族です。

どちらかというと大所帯でした。

まずは家族それぞれの人生を振り返ってみて、

一人一人がそれぞれどのような影響を受け

どんな価値観を与え合ってきたのかを振り返ることで、

理想の人間関係を築くヒントが見つからないか検証してみました。


【祖父】
祖父は明治生まれのいわゆる頑固者。
同居していた母は、よく祖父に怒られたと
当時の事を話していました。

戦争を経験しますが、華奢な体つきの為
赤紙による招集が来ることは無かったそうです。

運の良い祖父です。


大学を卒業してから新聞者で働きます。
多忙な仕事だったと思います。

当時は新聞へ著名な作家が文章を起稿していたようで、
作家の住まいに原稿を取りに行くことも多かったようです。

芥川龍之介の家にも何度か足を運んでいたということを
父から聞いたことがありました。

私達3人兄弟の名前は、
芥川龍之介の子供の名前からヒントを得たそうです。

その後大手百貨店から声がかかり、
美術部(若手の才能ある芸術家を育てて一流に育て作品を販売する部門)で
定年まで働いたそうです。

祖父はいつも二人の孫のうち長男の方ばかりを可愛がり、
次男にはとても厳しかったそうです。
それを見ていた祖母は可愛そうだと逆に次男の方を可愛がり、
どちらか一方に愛情が偏らないようにしていたとか。


私も祖父と同じ部屋で寝ていましたのでいわゆるおじいちゃん子でした。

幼稚園の送迎も母が忙しい時はお爺ちゃんにしてもらっていた記憶があります。

お洒落心があり若い頃の写真をみるとハイカラな祖父だったようです。

88才で大病にかかることなく最後は突然眠るように家で亡くなりました。
大往生の人生です。

 

【祖母】
一方祖母はいつも外に出かけて家にいない活発な人で、
どちらかと言うと女性らしい家庭的な人ではありませんでした。
当時の女性では珍しく体育大学出身です。
若い頃は体育の先生をしていました。

父をはじめ7人の子供を授かりましたが、
その内3人の子を幼くして亡くしています。

そんな中で生まれたのが長男である私の父ですが、
この時も双子の相方が死んでしまいました。

愛する我が子を3人も立て続けに亡くし、
心の拠り所を求めて熱心に信仰の道に勤しむようになります。


もともと体育大学出身の活発な人ですから、
家で家事をこなすような人ではありません。
昔は田舎から嫁入り前の若い女性を
花嫁修業の機会として家に置く習慣があったそうで、
母が嫁ぐまではそんな住み込みの若い女性と、
まだ若かった二人の叔母が3人一緒に祖母の代わりに
料理や家事を切り盛りしていたそうです。

祖父には兄弟がいましたが、
その中に競馬新聞の会社を立ち上げ、馬主でもある弟がいました。

当時住んでいた家の近くには地方競馬場がありましたので、
毎年そこで自分の馬が走る時は我が家に泊まりに来ていたそうです。

その時に祖母は祖父の弟にこう切り出したそうです。

「何か食べれないもはあるのかい?」

それに対して

「納豆が苦手です・・・」

そう答えると、その日から毎日毎食必ず納豆が食事に出されたそうです。
もちろん残したりすると厳しく怒り何が何でも食べさせたのだとか・・・


激しいです。激しすぎます。


私には兄が二人ほどおりますが、
兄達は祖母が元気な時、それはそれは厳しい躾を受けたと話していました。

壁に落書きをすると、おしりに特大のお灸を据えられ・・・
それでも懲りない場合は、逆さ吊りにされて庭の池に顔を沈められる・・・

もはや体罰というには限度を越えています。

水攻めの刑・・・

その一方で兄と年が離れている私は、体罰を受けたことがありません。
物心つく頃には祖母は病気でほぼ寝たきりだったためです。
そんな私は兄から見ればぬくぬくで甘やかされて
育っているように見えてたに違いありません。

祖母は結局寝たきりのまま脳梗塞で亡くなりました。
祖父に比べるとだいぶ早く人生に終止符を打っています。
しかも祖父に比べると苦しい死に方だったに違いありません。
その一方で祖母と一緒に暮らしてきた私の家族達もさぞ大変だったことでしょう・・・

【父】
一卵性双生児の双子として生まれました。
2人とも超未熟児で生まれ、父の方は余命僅かと宣言されました。
しかし宣言とは逆の双子の相方が亡くなり一命を取り留めています。


父はまさに戦後復興という象徴である”昭和”という時代を生きてきました。
もちろん男たるもの会社で稼いで
一家を養うという時代ですから基本仕事中心の人生。

今のように男が家事や子育てを手伝うような時代の人ではありません。


戦争を肌で経験している昭和ひと桁生まれですので、
その当時の貧しさも経験しています。
敗戦を経験し、焼け野原だった日本を知っています。

食べるものにも困る程の何もない時代に、唯一の楽しみは勉強することだったそうです。
勉強くらいしかすることが無かった時代。祖父も大学出身のインテリだから、
子供にも当然大学進学の道が用意されていたに違いありません。

後から聞いた話ですが、
絵心があった父も美術大学に進もうと考えた時期があったそうです。
まさに私と同じです。

ところが、百貨店の美術部で多くの才能ある芸術家を見てきた祖父は
美術大学に進むことは許さなかったそうです。
私が父にされてきたことと同じことを父も祖父からされていたのです。


そして結局祖父と同じ百貨店に就職します。



時代は高度成長期。
当時の百貨店と言えばモノを売る側面こそありますが、
むしろ庶民に海外の生活文化をいち早く紹介する役割を担っていました。

大学時代英語を学んでいた父は海外視察のチャンスを掴みます。
ぺらぺら英語を話せるレベルでは無かったようですが、
大学時代の勉強のお陰で英語の読み書きが出来た。


会社の代表としてヨーロッパの一流デパートを視察し、
ヨーロッパの一流ブランドを日本に誘致したり、
世界中を仕事で回る事が出来たそうです。

時は1ドル360円の時代。
海外旅行が珍しい時代でしたので、
海外研修の際には同僚が日の丸の旗を手にし、

羽田空港で万歳三唱で見送ったのだとか・・・

そんな時代から世界を垣間見てきたのです。
ヨーロッパの文化を肌で感じ、その目で見てきたことは
何よりも自分の人生を感性を豊かにしたに違いありません。

子供の頃モノが無かった時代を過ごした反動で、
生活費を除いたお金を貯めては欲しいものを手に入れていきました。

部屋の壁には油絵が飾られ、リビングには立派なオーディオ機器がありました。
良い音のある暮らしが当たり前のようにそこにはあり、
私にとってもそれは恵まれた経験だったと思います。

海外生活を経験していますので、住まいのインテリアも洋風なモノで揃えられ、
私のインテリアの感性はそのおかげで磨かれたのかもしれません。

 

【母】
岐阜の田舎で育った母は軍人の父とその妻である母親、
18才以上も年の離れた兄と姉の5人家族でした。

兄弟とそんなにも年が離れている為か
「私はひとりっ子だったと思う」とも言っていました。
それだけ年が離れればむしろ親子に近い感覚だったのでしょう。

とは言っても親子ではないから無償の愛を注いで貰える訳でありません。
孤独だったのかもしれません。


母方の祖父が将校だったこともありモノが少ない時代でも
比較的に裕福に育ったそうです。

祖父は幸い激しい戦火の中でも生きて帰ることが出来た運の強い人です。
村でも一目置かれる相談役という立場でしたが、物静かで良く動き。
率先して掃除や家事なども行う【行動】の人だったそうです。

和裁ができる母は今でも私達やわが子のために着物を縫ってくれます。
母の行動による愛情は、祖父の背中を見て育ったおかげかもしれません。


高校を卒業するとすぐに東京に出て、
親戚のつてでお店
で働くことになりました

そのお店に出入りしていたのが父方の祖父です。
祖父が母のことをすっかり気に入ってしまい、
自分の息子と会って貰えないかと頼んだのだとか。

父との縁談が進む中で、
将校であった母の父がガンであることが分かりました。

しかも末期だったそうです。
戦争では生き延びた祖父も病気には勝てませんでした。

母は看病のためいったん田舎に戻り祖父の看病を行いながら、
完治は絶望的な祖父との最後の時間を過ごしました。


祖父を見届けた後に父と結婚したのですが、
父方のガンコ者の祖父、激しい祖母、
父の兄弟、お手伝いさんとの共同生活が東京で始まります。
当時は借家暮らしだったそうです。

比較的裕福に育った母にとっては過酷な生活だったと思います。
やがて埼玉に土地を購入し、父方の祖父と祖母との4人での生活が始まります。
間もなくして私の兄が年子で生まれ、その5年後に私が生まれました。

父は管理職で大人数が好きな個性も手伝い、
会社の後輩や同僚を家に招待して食事をもてなしていました。
と言っても料理を振る舞うのは作るのも片付けるのも母の仕事です。


母は7人家族の家事を一手に引き受け背負ってきました。
祖母は出かけて家にはいませんし、
残りのメンズ達が家事を手伝うことはありません。

正月は決まって長男である父が親戚を一同に集めて過ごすようにしていました。
それぞれの子供たちを入れると総勢20人近い大人数が毎年我が家に集まるのです。
もちろん料理を振る舞う訳ですから用意をするのはすべて母親の仕事です。


父の母が病気で寝たきりとなると、母が率先して看病をする事になりました。
3人の男の子を育てる、家事を一手に引き受ける、
痴呆症を併発した祖母の看病もする・・・
その生活は最後を看取るまで続きます。

そんな母方の祖母も同じく病気で入院することがありましたが、
ここでも母は泊まりこみで看病をしていました。

母の親戚の中に身寄りのない独り身の年上の女性がおり、
老後はそんな親戚を自宅近くの老健に入れ定期的に面倒をみています。

若い頃から今に至るまで人の面倒を見る人生を生き続けています。

いまでこそのんびりと両親ともども健康でのんびりと過ごしていますが、
当時の母には自由な時間など一分も無かったことでしょう。

奴隷のように家事をしていたとも言っていましたし、
人生は修行だと考えてもいると言っている理由がよく分かります。

そう考えないとやっていけないと思いました。


【兄弟】
学年で言うと6年、5年離れた兄がいます。
3人兄弟です。

祖母の厳しい躾で育てられた兄達は、
基本甘やかされていないと思います。

あまり愚痴を聞いたことがありません。
愚痴などをいう暇があったら行動を起こすだけ。

そんなタイプの男です。


ひと通り子育てを経験した両親に育てられた三男の私は、
良い意味でほったらかしで適当に育てられました。

私も感じますが、初めての子育ては右も左も分からず、
親である自分がかなり緊張してガチガチな子育てをしてしまいます。

多くの子育て経験者の方にも質問しても初めての子供より
2番目の子供はやりやすく、三人目はほったらかしだと話していました。

別の見方をすれば、兄達は時に過干渉で時に厳しく躾けられてきた。

許されなかった事も多々あるかもしれません。
しかし私はある意味テキトーにされている。
許されなかったこともほったらかし・・・

兄達から見れば面白くなかったでしょう。
祖母の拷問のような躾も受けていないわけですから(笑)


二人は年子で生まれていますので、
長男は1才にしてお兄ちゃんになります。

母親の愛情を独り占めすることも出来なかったでしょう。
しかも忙しい母でしたから
幼少期にありったけの受容をもらえたかどうかも分かりません。


頭がよく優しい性格の長男に対し、気性が激しくいたずらっ子の次男。
常に出来の良い長男と比べられ続けることで、
次男には次男でしか味わえないプレッシャーもあったに違いありません。


そんな次男から私は厳しく躾けられました。祖母の代わりです。

「甘えるなと・・・」

そんな次男の兄は今でも自分に厳しく誰よりも努力家です。


私にとっては学年が離れた兄とは共通の話題がなく、
どちらかというと置いてけぼりを味わってきました。
逆に兄からみても私と何を話していいか分からなかったと思います。

 


長々と書いてしまいましたが・・・
ざっとまとめると。



・明治のめまぐるしい西洋化を経験した祖父。
そんな時代でも大学を出て新聞社で働き多くの作家との交流を持ち、
その後百貨店では多くの芸術家を目にしてききました。
性格的には気が短く典型的な日本のガンコ爺さんといったところでしょうか?

・大正時代に体育大学を志し、体育の先生として活躍していた祖母。
根っからの気性の激しさで周りに対しては厳しい人に映ったにちがいありませんが、
自分の意思を貫く根性がありました。

その一方で、多くの我が子を幼くして亡くし、
信仰の道で心の拠り所を見出そうともしていました。
最後は自分の意思とは裏腹に身動きの取れない寝たきり状態で他界します。
活発な祖母にとっては屈辱だったことでしょう。


・超未熟児で生まれ死を宣告されながらも生き延びた父。
戦後の貧しい時代を経験しました。
自分の進みたい方向へは許しを乞うことは出来ず、祖父と同じ百貨店の道に進みます。
しかし時代は高度成長期。百貨店にとっては最高の時代。
海外を間近に経験して、自分の満たされなかった思いを手に入れていきました。

稼ぎは子供の学費と生活費でほぼ消えていますが、
マイホームを買い3人の息子を私立大学まで行かせた経済的な自負心は誰よりもあるでしょう。
戦争を経験していますが自分を満たすこともしっかりやることが出来た
幸せな人生だったのではないでしょうか?


・裕福な家庭に生まれながらも、若くして人の世話をし続ける生活に突入する母。
兄弟とも年が離れどちらかというと孤独を感じていた。
大家族の家事を一手に切り盛りし、後に多くの人の看病にも携わり、
自分のケアは後回し。
一切自分を振り返るようなヒマがなく今ようやっと自分の為に人生を使ええるようになりました。

・年子で生まれ、あまり母親の愛情を独占出来なかった兄達。
多忙な母に迷惑をかけまいと、幼くして兄の役割を担うようになった長男。
一方いたずらっこでどちらかというと問題児の次男は、
優等生の長男と比較されることでプレッシャーを感じ続ける人生。

そんな中、年の離れた弟が出来て、
自分が許されて来なかった事が許され甘やかして育てられている状況にさぞ怒りを覚えたことでしょう。

年も離れていますので、共通の話題も見いだせずにいたと思います。





誰も悪くありません。皆それぞれの立場で一生懸命生きていました。

 
 

自分が経験した様々な出来事。

愛情があるが故に躾けをするケースもありますし、

各自様々なトラウマもあります。

それぞれに自分らしい価値観や生まれ持った個性もあります。


理想の人間関係をゼロからイメージするとなると、

こちらが一方的に求めるような都合の良いだけの人間関係を想像してしまいます。

その基準は自分にとって都合の良い価値観のみです。



一方的に求める理想の人間関係など存在しないのでしょうか?

それを求めることは出来ないのでしょうか?

振り返ってみると、現実にはそんな都合の良い人間関係など微塵もなく、

一方的に期待すればするほどむしろ裏切られるものばかりでした。

 

お互いの価値観をニュートラルに認め合って、

お互いの人生を認め合えるような理想的な人間関係を築けるかどうかは、

こちらの捉え方次第なのではないかと思えるようになりました。

 


・私の家族それぞれがどのような人生を生きて、どのような人間関係を築いてきたのか?

・どんな出来事から何を経験し、そのことでどのような考えや価値観を持つに至ったのか?

・ただその事実をフラットにニュートラルに理解を示すだけで良いのではないか?


そうも感じました。


期待する必要もありません。

自分の人生を生きれば良いのですから。

理解して貰う必要もありません。

時代も経験も違うのですから。

突き放す必要もありません。
私以外は皆違う価値観を持っているのですから。

 

 

 


今回のブログはとても時間がかかりました。


家族がどのような人生を歩んできたのかを

客観的に知り得る情報の中でまとめてみるのに、

書き始めて7時間もの時間がかかりました。

 

 


でもこの時間を設けることで、

距離が近いが故に一方的にこちらから理解を要求してしまいがちな

【家族】という人間関係に少し距離を置き、

客観的に外側から見れるようになれたと思います。




理解を求めるのではなく、こちらが相手のあるがままを受容する。

無理やり理解するというよりも、「それもありだよね」というようなニュートラルなスタンス。


これができればより豊かな人間関係を築くことが出来る気がしました。


とても疲れる作業でしたが、

それだけ自分の中で大きな収穫があったような気がします。

 

今日のクリアリング


理想の人間関係とは? 〜実の家族を考えてみる〜

自分に対して理解を求めるのではなく、
自分の方から相手をただフラットに理解する

 

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